Sabigara

『カラマーゾフの兄弟』を読んだ

Draft

『罪と罰』をすでに読んでいてかなり良かったから期待していたのだが、残念ながらそれほど楽しめなかった。

罪と罰は(老婆の頭をかち割るという点を除けば)わりと正統派の近代小説だと思う。なにかしらの困難に直面した青年が危機の中で考え成長していくという意味で。しかしカラマーゾフは「ポリフォニー」とかいう説明がなされているように、いろんな人間が勝手にいろんなことを喋くっているばかりで、だれにどう共感していいのかよくわからない。

個人的に「盛り上がってきた!」と感じられたのは2部のイワンの『大審問官』とゾシマの伝記だった。この2つはわかりやすくに対置された「ポリフォニー」だとは思うが、イデオロギーが明示されている分、感情移入というよりは知的な好奇心を満たされる類のものだった。

この辺りを面白く読めたのは確かだが、しかしこれらはどちらかといえば寄り道というか、ある種の背景というべき箇所だ。本筋はやはりカラマーゾフたちの行動であって、この2編のような理論パートではないはずだ。

一番のメインがドミートリーの父殺しと裁判であるはずだが、このクライマックスにおいて罪と罰のようなカタルシスは感じられなかった。そもそもミステリー小説の「犯人」役であるドミートリーは(ラスコーリニコフのような)「主人公」ではありえないのであり、それゆえに私小説的な苦悩とそこからの救いの主体にはなり得ない(?)。というのは言い過ぎだろうが、少なくとも一人称的な語りに共感することは難しそうだ。そもそも彼が本当に父親を殺さなかったのかどうかすら曖昧である(まあそこを疑うのは正直下らないような気はするが)。

自分にはドミートリーがどういう人間なのかよくわからなかったし、どこからが本当で嘘なのか判別できない。

「カラマーゾフは良いところと悪いところの両極端を同時に持っている」みたいなセリフがあったが、フョードルの良いところってどこだったんだろうか?ある意味で面白い破天荒な人間であるのは間違いないが、兄弟たちと比べて明らかに悪い面が強調されているように思う。

空から大量の登場人物たちを見下ろすのではなく、罪と罰のように夏のペテルブルクを狂気の中さまよっている方が個人的には面白い。

イワンがなぜ狂ったのかわからない。